5月16日
メッセージ:「一人の正しい行為によって」
説教者:東清志牧師
ローマの信徒への手紙 5:17-18<新共同訳>
〔新共同訳〕
17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
〔口語訳〕
17もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。 18このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
礼拝(洗足聖餐式) 「オネシモの使命」 ジョセフ・デュアート
聖書朗読
ローマ人への手紙2章4節
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
心の糧
「これは悔い改めた罪人に対するキリストの愛をあらわすのになんとふさわしい実例であろう。主人のものを横領した奴隷は、それを償うべき何ものも持たなかった。神に仕えるべき年月を横取りしてきた罪人には、その負債を取り消す方法がない。イエスは、罪人と神の間に入って、わたしが負債を支払います、罪びとを赦してください、彼の代わりにわたしが罰を受けます、と言われる。」 (患難から栄光へ 458.2)
「Perfect Baptism(パーフェクト・バプテスマ)」
小湊佳昌
聖書朗読 ローマ6:1~5
では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。 断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
【心の糧】
「必死の戦いをしながらも、彼は罪の意識に心が重かった。彼の罪が彼の前に立ちはだかって、彼を神から引き離すのであった。しかし、この恐るべき窮地にあって、彼は神の約束を思い起こした。そして、彼は真心から、神の隣れみを哀願した。」(人類のあけぼの18章 苦闘の一夜)
「……わたしがこの世の力だけに信頼しなければならないのなら、万事は終わりです。……」(各時代の大争闘8章 われここに立つ)